前園真聖、“マイアミの奇跡”振り返る「最後までブレなかったことが勝利に」 - ORICON NEWS
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前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - )は、鹿児島県薩摩郡東郷町(現・薩摩川内市)出身の元サッカー選手、サッカー解説者、タレント。所属するマネジメント事務所はサニーサイドアップ、ジャパンエフエムネットワーク。 日本が28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックの予選突
49キロバイト (5,090 語) - 2019年2月10日 (日) 06:16



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内容は悲惨でも、勝てば英雄。

1 Egg ★ :2018/12/18(火) 08:42:30.63 ID:CAP_USER9.net

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第8回
マイアミの奇跡に隠されたエースの苦悩~前園真聖(1)

「内容的には(ブラジルの)10-0。でも、勝っちゃったんだよね」

 前園真聖は、アトランタ五輪のブラジル戦での勝利(1-0)を振り返って、そう言った。

 1996年7月21日、1968年メキシコ五輪以来、28年ぶりに五輪出場を果たしたサッカー日本代表の初戦は、”サッカー王国”ブラジルが相手だった。DFロベルト・カルロス、MFジュニーニョ、FWサヴィオ、FWロナウドら、すでにA代表にも名を連ねる面々に、1994年アメリカW杯の優勝メンバーであるFWベベットとDFアウダイール、さらにMFリバウドがオーバーエイジ枠として加わったチームは、まさに”最強軍団”。大会直前の世界選抜とのチャリティーマッチにも勝利し、優勝候補筆頭と言える存在だった。

 日本は、その断トツの優勝候補に1-0で勝った。それは「マイアミの奇跡」と称され、今なお語り継がれる”世紀のアップセット”となった。

 その日本代表チームのキャプテンであり、”エース”だったのが、前園だ。

 アトランタ五輪のアジア最終予選では、出場権がかかったサウジアラビア戦で2得点を挙げ、五輪出場に大きく貢献した。無論、アトランタ五輪でも躍動し、「世界をあっと言わせてくれるだろう」と多くのファンが期待していた。

 もちろん、前園本人も自らに期待していた。そして、見事にブラジルを下したのだ。

 しかしその翌日、前園の表情は冴えなかった。しかも、歴史的な勝利を挙げて以降、前園から発せられる言葉が失われていったのである――。

「監督、今までどおり、攻撃的なサッカーをやりましょうよ。どこまでやれるか、やってみましょうよ」

 ブラジル戦前、前園はチームを率いる西野朗監督にそう訴えた。

 というのも、西野監督は試合の数日前からブラジル戦は「守備的に戦う」と選手たちに告げていたからだ。

 西野監督は、ブラジルに対して事前に偵察隊を送って、チームのシステムや選手個々の細かい情報を収集し、ウィークポイントを探していた。だが、試合の映像を見る限り、ブラジルの強さばかりが目立ち、付け入る隙はほとんどなかった。そんなチームを相手に、最終予選と同じように攻撃的な戦い方をしたら、痛い目をみるのは明らかだった。

 前園は、その方針に異を唱えたのである。アジアを突破してきた力を「世界でも試してみたい」と思っていた。チームは結成以来、攻撃的に戦ってきた。最終予選のサウジアラビア戦も押し込まれて劣勢になったが、そのときも決して守備的に戦うことはなかったからだ。

 しかし、前園の「攻撃的に」という直訴に対して、西野監督の答えは「ノー」だった。

「試合直前まで、西野さんに言い続けた。『自分たちの戦いをやろうよ』って。

 でも、西野さんは当時41歳で、今の俺の年齢(45歳)よりも若いなか、初めて世界大会で指揮することになった。若い俺らがいろいろと勝手なことを言っていたけど、西野さんはチームのことを考えて、勝つためにどうしたらいいかを考えなければいけなかった。

 今では西野さんの言うこともよくわかるけど、当時は(自分も)若かったからね。ただいつもどおり、攻撃的なサッカーをやって、ガチンコ勝負をして、自分たちの力を試したい――それしか考えていなかった」

 一方で守備陣の選手たちは、前園をはじめ、城彰二、中田英寿ら前線の熱い思いを理解しながらも、務めて冷静で、西野監督の考えも素直に受け入れていた。

「ハット(服部年宏)とか(川口)能活とかは(自分の訴えに)反対していたね。俺らの思いはわかるけど、『相手はブラジルだぞ』って。

 たしかに(自分も)スカウティングのビデオを見て、(ブラジルは)『強すぎる』と思った。普通に戦っても、押し込まれる時間が長くなるだろうな、と。それは、自分も納得していた。

 だからといって、最初から守備的にするのはどうかなって、思っていた。だから、攻撃に入ったときは『みんなで攻めようよ』っていう話をしたんだけど……。(みんなの)同意を得るのは難しかった」

つづきはこちら

2018年12月17日 7時15分
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15750219/





3 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:46:54.02 ID:/BkGIS+q0.net

西野、中田、城、服部、川口はワールドカップ出てるけど、前園さんは格子園出場


20 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 09:03:34.32 ID:le6FyqLS0.net

>>3
松田と輝ドーナも忘れないでやって下さい
伊東輝は試合には出てないけど


4 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:47:59.30 ID:jcj07+Sz0.net

戦いは、全て守備優先


5 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:48:44.10 ID:G00LSfco0.net

(`●ω●´)<ん?


6 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:49:04.93 ID:VaZshdeW0.net

前園さんの言う通りやが


8 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:50:13.58 ID:jtwuNq0M0.net

マイアミは本当交通事故だけど
ロンドンのスペイン戦の戦術永井はあの試合直後に
何度か見返した


84 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 12:24:03.82 ID:79yDqAjn0.net

>>8
ロンドンは完全にオールコートプレスだったな
相手に組み立てる時間無くして、ミスをさせるのはどのチームにも有効だったろうね

WYのスペインみたいにどうあがいても触れない奴らもいるけど


9 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:53:05.38 ID:0uYjenq50.net

五輪で監督無視して勝手なサッカーをやったのは、
アトランタと、北京だからなw

前園とホンダw


10 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:53:26.89 ID:e+aWiEK90.net

1996年から1998年の間に劣化したのが惜しい。
マイアミの状態でフランスに挑ませてあげたかった。


11 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:55:11.86 ID:f+Qv+APx0.net

GLの最終戦でゴール決めて、そんなことしてる暇ないのにめっちゃ喜ぶことに時間喰ってるん見て「こいつアカン」て思った


12 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:56:54.90 ID:/BkGIS+q0.net

日本の攻撃的サッカーはDFも攻撃しろ、されど守備は6人でやれだもんな。


15 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 08:59:32.27 ID:/IX4PogM0.net

確か五輪の直後numberかなんかで西野のことボロカスに言ってたな


17 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 09:01:24.71 ID:S2ll/z5n0.net

あの時の川口には
「GKってこんなにもシュートを止められるものなのか…」
とビビったものだw


19 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 09:03:15.42 ID:1TcvTyaq0.net

>一方で守備陣の選手たちは、前園をはじめ、城彰二、中田英寿ら前線の熱い思いを理解しながらも、務めて冷静で、西野監督の考えも素直に受け入れていた

そりゃ攻撃陣は玉砕覚悟の特攻するだけで満足だろうけど
それにつきあわされる守備陣はたまったもんじゃないしな


30 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 09:26:39.81 ID:S0TSWOIC0.net

>>19
遠藤路木の両WBが猛烈に疲弊して、その後使い物にならなかったんだよな


93 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 12:46:58.02 ID:YCHdzDWC0.net

>>19
これは有名な話だけどあのチームは攻撃陣と守備陣の溝が深くなり崩壊してた


21 名無しさん@恐縮です :2018/12/18(火) 09:03:46.56 ID:GFBxsk+i0.net

西野さん41だったか
そりゃ若いよなあ
でもあの経験があってこその
その後の攻撃サッカーだからな